三輪山の麓に位置する奈良県桜井市芝地区は、江戸時代まで織田家が藩主を務めた芝村藩の中心地でした。芝村藩は織田信長の弟である織田有楽斎の四男・織田長政が開いたことに始まる藩。
もとは同市戒重に陣屋がありましたが1745年、第7代藩主・織田輔宜(すけよし)の時代に芝へと陣屋を移し、以降明治時代まで続きました。今回は芝陣屋の周辺をぶらり。
陣屋の西側を南北に走る上街道から大手筋を通って陣屋へ向かいます。芝村陣屋は南北約270m、東西約200mで、総面積は約8ha(阪神甲子園球場約2.1個分)もありました。陣屋へは西と南と北の3か所に入り口が設けられていました。
突き当たりを左に行けば御殿ですが、少し南側に遠回り。現在ため池となっているこちらは惣門前の堀の跡。堀を挟んで南北には家中屋敷が置かれていました。惣門側(写真左)には堀に沿って土塁も築かれていたとか。
ちなみに惣門は、明治維新後に芝村藩織田家の菩提寺『慶田寺』の山門として移築されています。こちらには織田有楽斎をはじめ、織田長政以降の歴代藩主の墓所もあります。陣屋からもほど近いのでぜひお参りください。
堀からまっすぐ北上すると正面にお城のような門が! 実はここ地元の市立小学校で、芝陣屋内の御殿があった場所に建てられています。学校長曰く、木造だった校舎の建て替えを機に、2003年頃にお城風の校舎校門にしたそうです。
塀には狭間のような意匠まで…防御力高い学校で、子ども達も安心ですね(?) 塀の下の石垣は陣屋時代のものなんでしょうか。そこまで聞けば良かったですね。
そんなこちらの学校名は「桜井市立織田小学校」。か、かっこよすぎる…!
織田小学校の西側には稲荷神社と織田信長公を祀る建勲神社があります。ちなみにこの場所にはもともと中間(ちゅうげん ※武家奉公人)の屋敷があったそうです。
「建勲」とは天下統一・朝儀復興に尽くした織田信長の偉勲に対し明治天皇が神社創立の宣下と共に授けた神号のこと。京都・船岡山の『建勲神社』が本宮で、全国の織田家ゆかりの地に鎮座する建勲神社は本宮からの分祀になります。
本宮では「たけいさお」と読まれている建勲神社ですが、芝では「けんくん」と読みます。またご祭神の信長公に親しみを込めて「しんちょこ(信長公)さん」とも呼ばれています。毎年7月に本能寺の変に因んだ例祭も行われているそうですよ!
また、社殿向かって右手には織田信長の石造坐像もあります。境内は公園になっていて、石像の前にはシーソーがあるので、向かい合って座ると信長公とシーソーしてるみたいな気分も味わえます!
人気のハイキングコース・山の辺の道を歩くと通り過ぎてしまって気づかれない芝の集落ですが、街道沿いの古い街並みと織田家の歴史がたくさん詰まった風情あるところです。大神神社や纏向遺跡、箸墓古墳にも近いので三輪エリアを観光される際はぜひお立ち寄りください♪
関西をもっと楽しむライフスタイルマガジン anna(アンナ)