ホテルアジール・奈良(奈良市油阪町)となら観光ボランティアガイドの会「朱雀」がコラボした「アジールさんぽ」が5月26日~28日まで3日間開催されました。その初日に参加させていただきました。
ちなみに川路奉行は1846年4月19日に奈良へ赴任しましたが、その2日後からこの奈良市内を精力的に巡視したそうです。ガイドのⅠさんは、行く先々でエピソードも交えながら川路奉行の見聞日記『寧府記事(ねいふきじ)』を読み上げ、参加者に今いるスポットとの結びつきを深めてくれました。
まずは家康の末弟・松平定勝ゆかりの念仏寺(山の寺)から、漢國神社(かんごうじんじゃ)へ。冬の陣で木津川口の戦いに敗れた家康が、境内の桶屋に逃れて九死に一生を得たお礼に奉納したという鎧が伝わっています。レプリカ(実物は奈良国立博物館)ながら素晴らしい意匠であることや3つの紋が入っていることなどの説明に聞き入りました。
続いて川路奉行が立ち寄った古梅園へ。善政で知られる川路聖謨は、奈良の産業振興にも注力、墨造りも奨励したそうです。ちなみに同店には吉宗の時代に象の骨の膠(にかわ)も使ったといい、その鼻の皮が今も残っているそうです。
いわゆる「ならまち」地区に入って奈良市資料保存館へ。そこでは初代奈良奉行・中坊氏が先の古梅園の地にあった屋敷を代官所とし、後に現奈良女子大の地へ造営したことや、歴代奉行の功績などについて館の職員さんから説明を受けました。
元暦元年から続く老舗の菊岡漢方薬局では、24代目のご当主から店舗が元興寺の金堂のあったところだと伺って、境内だったゆえに入り組んだ道を元興寺塔跡へ。Ⅰさんは、東寺に次ぐ高さの五重塔と推定される塔の礎石を示しながら、「川路奉行は、この塔の三重目から、町を見渡したそうです」と話し、かの大丸が寄進した啼灯篭(なきとうろう)のいわれを説明。
続いて塔跡からほど近い無実の罪で幽閉・殺害された井上内親王(いがみないしんのう)・他戸親王(おさべしんのう)母子慰霊のため桓武天皇の勅願で創祀された御霊神社(ごりょうじんじゃ)へ。南門の狛犬の足に赤い紐がたくさん結び付けられている訳(足止め)も教わりました。
元興寺旧境内の南東にあった十輪院は、簡素で優美な姿の本堂に目を見張ります。本尊の石造地蔵菩薩(石仏龕)の説明を受け、吉備真備の長男・魚養(なかい)の墓前にも案内されました。
町家が続く清水通りを東へ向かい、筑紫から飛来してきた奈良時代の僧・玄昉の頭がここへ落ちたという伝承が残る頭塔(ずとう)へ。本来は土塔だったのだとか。ホテル跡が空き地になっており、ほぼ全景がすっきりと見えました。
再びならまちへ戻り極楽坊元興寺へ。588年創建の飛鳥寺を移築したもので、当時の建材や瓦も残るという話や、本尊・智光曼荼羅のいわれをうかがい、奈良奉行からのお知らせ板・橋本町の高札場へ。途中、かつて花街だった木辻町や元林院町を抜けました。
高札場では鹿の角切りでのトラブルをうまく裁いたエピソードを聞いて、興福寺五十二段そばに建つ奉行顕彰の「植桜楓之碑」へ。
途中、同さんぽの特典である、スピード餅つきで有名な中谷堂の草餅や、「Lunch&Cafe鹿珈」で冷たいスイーツが、3時間の旅の疲れを癒やしてくれたことを付記します。
掘れば掘るほど出てくる、底なしの奈良の魅力の序幕でした。次回は8月5・6・7日の夕刻から奈良の夏の風物詩「なら燈花会」に合わせて、「妖怪と陰陽師」コースのそぞろ歩きを予定とのこと。本日参加された方たちは、「次回も来たい」と早くもスケジュール調整をなさっていました。
名称:ホテルアジール・奈良
ふりがな:
住所:奈良市油阪町1-58
TEL:0742-22-2577
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