TOP ローカル 京都 改良を重ね現代に息づく―明治時代に造られた「関西本線木津川橋梁」

改良を重ね現代に息づく―明治時代に造られた「関西本線木津川橋梁」

2022.08.04

電車の旅は楽しいもの。わけても鉄橋を渡る時、ポーッと汽笛が鳴ると、さらに旅情がかきたてられます。今回は、そんな鉄橋の中でも京都府の南部、木津川に架かる美しいトラス橋の「関西本線木津川橋梁」に注目しました!

写真:笠置町HPより

【新型コロナウイルスの感染拡大防止対策にご協力お願いします!】
・基本的な感染予防対策(マスクの着用・手洗い・身体的距離の確保など)を徹底してください。
・屋外の活動も慎重にしてください。
・発熱等の症状(発熱、咳、のどの痛み、息苦しさなどの症状)がある場合は、外出を控えてください。

3連のトラスが美しい木津川橋梁

丹羽さん、今回は支承をデザインしたキメTシャツで登場

今回も、橋について教えてくださる先生は建設コンサルタントの橋梁エンジニア(技術士:建設部門)で愛橋家の丹羽信弘さん。木津川橋梁とは、どんな橋なのか、先生の解説が楽しみです。
※支承(ししょう)=橋の上部構造(主桁・主構)と下部構造(橋台や橋脚)の間に設置する装置で、自重や自動車列車荷重や地震時慣性力を伝えるとともに、温度変化による桁の伸び縮みや、桁のたわみによる回転に対応する

天橋立ケーブル 府中駅

橋を訪れる前に「トラス」という言葉の解説を少しだけ。「トラス」とは部材を三角形状に組み合わせた骨組み構造のこと。建物では駅や工場、体育館などの大空間の天井で見られるので、「あ、あれか!」と思った方も多いのでは。

このトラス構造を用いて造る橋を「トラス橋」といいます。ひと口にトラス橋といっても、三角形や部材の組み合わせ方により様々なタイプや特徴があって、ワーレントラス、プラットトラス、ハウトラスなど、多くは考案した人の名前がつけられているんですって。
なんとなくトラス橋のことが分かったところで、早速、行ってみましょう~。

水がキレイ~! 近くの河川敷にはキャンプ場もあります

これが関西本線木津川橋梁(=かんさいほんせんきづがわきょうりょう 以下、木津川橋梁)です。造られたのは明治30(1897)年。今ではJR関西本線の橋ですが、元々は明治五大私鉄のひとつ、関西(かんせい)鉄道の鉄橋として架けられました。あれ? 関西鉄道といえば先日、ハイキングをした通称「大仏鉄道」も同じ関西鉄道。大仏鉄道ができたのは明治31(1898)年なので、ほぼ同じ頃に作られたということですね。
設計したのは明治から大正時代にかけて活躍した土木技師の白石直治氏。レンセラー工科大学のバー教授に師事し、ペンシルベニア鉄道会社、フェニックス橋梁会社などで実務を経験した後、ベルリン工科大学などで学んだという凄腕の方です。

橋は4つのパートに分かれており、笠置駅側に70フィート(約21m)の鈑桁が2連、次に100フィート(約30m)の小型のトラス1連、中央に200フィート(約60m)のトラスが1連、100フィートの小型トラス1連という形になっています。
鈑桁(ばんげた)=橋桁の断面がアルファベットの”I”の字形に鋼板を溶接して、これを主桁とする橋。久御山ジャンクションの回にて登場

「建設当初は中央の3連ともイギリスから輸入されたトラス橋が架かっていたそうです。左右の小型トラスはポニーワーレントラス、中央はプラットトラスだったのですが、大正15(1926)年に小型トラスは改築され、中央の大型トラスは別にものに架け替えられました」と丹羽さん。

昭和12(1937)年に製造された国産の蒸気機関車C57(木津川市立加茂小学校近くにて)

というのも鉄道ができた当初、蒸気機関車はイギリスやアメリカから輸入していましたが、大正時代に入ると国産化を開始。そして第一次世界大戦後の好景気により大量の荷物や乗客が運べる大型蒸気機関車が製造されるようになると、機関車の荷重が増え、その重さに耐えられる橋梁に掛け替える必要がでてきたのです。

昭和に架け替えられた中央の大型トラス

中央の大型トラスは昭和の初めに現在の曲弦ワーレントラスに架け替えられました。

小型トラス

一方、小型トラスは全面架け替えせず、「元々あったワーレントラスの上に冠のようにアーチを追加してランガートラスにするという大胆な手法で補強をしたのです」。

東京の隅田川に架かる日本初のランガー橋、隅田川橋梁

現在、よく目にするランガ―橋ですが、当時はまだ日本にはなく、造られたのは木津川橋梁の補強から時が経過した昭和7(1932)年。それが現在も架かっている東京の総武線隅田橋橋梁で、設計したのは田中豊氏。田中豊氏といえば、橋梁界のアカデミー賞ともいえる土木学会田中賞の由来となった凄い方! ちなみに丹羽さんもこの田中賞を3度も受賞されているんですよ。

改良された小型トラス

明治時代に架けられた鉄橋の多くは蒸気機関車の大型化した荷重に耐えられるように架け替えられましたが、木津川橋梁の小型トラスは改築し構造形式を変えたことで、現在まで現役で使われることになったんですね。

 

切り石積みとレンガの橋脚

さて、橋の全景を見たところで橋の下まで行ってみましょう。橋脚は切り石積み。そういえば大仏鉄道の橋台も切り石積みのものがありましたね。2段になっている上の方の一部はレンガが積みになっています。「レンガは木津町で焼かれたものだそうですよ」と丹羽さん。橋脚は川の流れに沿って建てられていますが、「橋は木津川に対して60度の角度で架ける必要があったので、ちょっとズレている(斜角がある)のがわかるでしょうか」
確かに! 線路が斜めに乗っていますね。

橋脚の足元はこんな感じ。
「この辺は岩盤なので、基礎杭などは打たずにそのまま直接基礎で橋脚を建てていますね」

さらに橋脚の柱断面は小判型をしていますが、水圧を逃すために上流側だけ少し鋭角になっているのが分かります。
「縦に切り込み線が見えますが、当時はそこに鋼板を取り付けて流石などへの補強がなされてたのではと思います」

この美しい関西本線木津川橋梁は、令和3(2021)年に「明治時代に架けられた橋梁を、適切な補強や更新により長寿命化を実現した点で、優れた事例として顕彰すべき施設」として、土木学会選奨土木遺産に認定されました。素晴らしいですね。

さて、今回の木津川橋梁のお話はいかがでしたでしょうか。日常生活の中でも、目にする機会が多いトラス構造。少しだけでも分かると、橋を見る楽しみが増しそうです。今度は関西本線に乗って、この橋を渡ってみたいなぁ……。皆さんも木津川を訪れた際は、ぜひこの美しいトラス橋をゆっくり見上げてみてくださいね。

 

■■INFORMATION■■
関西本線木津川橋梁 
京都府相楽郡笠置町

 

丹羽信弘さんとまわった京都府の「橋」記事はこちらから▼

 

 

Recommend あなたにおすすめ