廃線跡を行く―明治時代に9年間だけ走ったレトロな大仏鉄道を巡る旅
京都府には、JRをはじめ京都丹後鉄道や嵯峨野観光鉄道など様々な鉄道がありますが、明治時代にわずか9年だけ運行したという、幻の「大仏(だいぶつ)鉄道」があったのはご存じですか? 今も所々に遺構が残り、その跡を訪ねる旅は鉄道ファンはもとより廃墟好き、レトロ好き、そしてハイキング好きの方々に愛されています。今回は、そんな明治時代の産業遺構を訪ねて廃線跡を歩く旅に出てみました。
・基本的な感染予防対策(マスクの着用・手洗い・身体的距離の確保など)を徹底してください。
・屋外の活動も慎重にしてください。
・発熱等の症状(発熱、咳、のどの痛み、息苦しさなどの症状)がある場合は、外出を控えてください。
赤い「マッチ箱」が走る幻の鉄道
「大仏鉄道」とは、加茂駅(京都府木津川市)と奈良駅(奈良県)をつないだ鉄道路線です。明治31(1898)年の創業当時は「加茂駅」から奈良駅北1.1㎞の「大仏駅」まででしたが、翌年5月には奈良駅まで延長され、全長約9.9㎞の路線となりました。
運行していたのは明治五大私鉄のひとつ、関西(かんせい)鉄道。大仏鉄道の名は、東大寺の大仏様を参拝する人々を乗せた路線の愛称なんです。加茂駅には名古屋から三重県を経由して入ってくる路線があることから、名古屋・三重方面から訪れる人たちも乗せ、当時は大変賑わったそうです。
汽車は赤いイギリス製の蒸気機関車。客室は5人座れるぐらいの小さな部屋が10個ほど繋がったもので、隣の部屋に行くには一度、降りなければいけなかったのだとか。ゆえに加茂町の人たちは、この汽車を「マッチ箱」と呼んでいたんですって。
ところが明治40(1965)年、加茂駅から木津駅を経由し奈良駅へ至る平坦なルートが開通すると大仏鉄道は休止、やがて廃線となってしまいました。創業期間はわずか9年。その短さゆえに当時の資料も乏しく、「幻の大仏鉄道」と呼ばれています。線路があった跡には今もいくつか遺構が残っているとのこと。そんなわけで、この鉄道遺構をめぐるハイキングに出かけてきました。
レトロ感あふれるレンガ造りのランプ小屋からスタート
出発はJR加茂駅から。西口近くには大きな駐車場があり、車で来た方はこちらを利用するのがおすすめ。駐車場の前には大きなコンビニがあったので飲み物などを調達し、駅で「遺構めぐりマップ」をもらって、いざ出発!
最初の目的地は駅のすぐ側にある赤レンガの「ランプ小屋」。建てられたのは明治30年。加茂駅開業当時からのもので、機関車や客室用の灯油ランプなどの保管に使用されていました。当時の照明は灯油ランプだったんですね。山形の切妻屋根には軒じゃばらという段差のあるデザインが施され、和洋折衷な印象の倉庫です。
ここから駅のホームが見えました。あのレンガ部分が加茂駅創業当時からあるホームなのかな。
もう一度、駅に戻り、東口を降りたところにある駅東公園へ。加茂町は水運業からはじまり、鉄道の発展とともに躍進してきた町でもあることから、8620型蒸気機関車の動輪一対と記念碑が展示してありました。
大仏鉄道ではこの蒸気機関車は走っていませんでしたが、加茂駅は当時から名古屋、大阪、奈良、京都方面へアクセスする重要な鉄道駅だったんですね。
確か、この辺に「旧加茂駅跨線橋(こせんきょう)支柱」があるはずなんだけれどな……。跨線橋とは、線路を越えるために架けられた橋のこと。その支柱だけが今、残っているそうなのですが見当たらない……。駐輪場で作業をしていたおじ様たちに尋ねると「線路沿いの道をまっすぐ行ったらいいよ」と親切に教えてくださいました。
ほんとだ! 跨線橋の支柱は踏切の辺りにありました。草をかき分けて支柱の根本を見ると「尾張熱田 鐡道車輌製造所製造」の文字。愛知県で作られた支柱なんですね。この跨線橋は1999年に解体されたそうですが、どんな橋だったのかな~と思いを馳せつつ、しばらく住宅街を歩いていきます。
そして線路脇を歩いていくと小学校のグランド横に突如、SLが現れました。こちらも大仏鉄道を走っていたものではないのですが、昭和12(1937)年に製造された蒸気機関車C57。その美しい姿から「貴婦人」というニックネームがつけられているそうですよ。
のどかな田園風景をハイキング
お地蔵様の前を過ぎると最初の大きな分岐点が現れました。観光案内所でもらった「遺構めぐりマップ」を見ると最初のエリアだけ「田園風景を楽しむコース」と「歴史を感じるコース」2つに分かれていまして、私たちは「田園風景を楽しむコース」を選択。踏切と小さな橋を渡ると、のどかな田園風景が広がりました。中学校の給食センターからただようお昼ご飯の香りに、お腹がなりそうになるのをこらえながら、先へと進みます。
さらに橋を渡ると再び分岐が登場。進行方向に向かって左、川沿いの道を歩きます。こんな風に分岐点には看板が出ているので安心です。ちなみにこのまま直進すると地蔵院や、以前、KYOTO SIDEでも紹介した「かたつむりミュージアム ラセン館」がありますよ。
しばらく川沿いの道を歩いていきます。のどかだな~。水もきれいだし、山も草も青々としてハイキングをするにはピッタリ。このまま歩いていくとお地蔵様がおられる分岐があり、左の道を20分ほど歩くと……。
お城のような石積み登場
最初の遺構、「観音寺橋台(かんおんじきょうだい)」が見えました。田園風景の中に突如、現れたのでテンションがあがります。わ~い!
この上を赤い機関車とマッチ箱が走っていたんだなあ。カッコイイ! 橋台は手前(橋桁がないもの)と奥(橋桁がかかっているもの)の2つありまして、奥は現在も使用されているJR関西本線(大和路線)の橋台。両方とも約100年以上前に作られた橋台だそうです。
橋台は花崗岩の切り石積み(正方形や長方形に切り出した石を積んで作った壁)。まるで西洋のお城のようです。
ところで大仏鉄道は起伏の多い場所に作られているため盛土(もりど・もりつち)をして、その上に線路を敷き、できるだけ高低差を和らげているのだとか。しかし線路の約3分の1以上が盛土の上に築かれているので生活道や水路を確保するため、各所に橋台や隧道(ずいどう=トンネル)が作られているんですって。この「観音寺橋台」もその一つで、盛土により分断された田畑をつなぐ役割をしています。
ゆっくり橋台を眺めていたら、電車が通過していきました! 案内板にはJR列車の通過時刻が書かれた表が下げられていました。どうやら1時間に1~3本通過するみたいです。
はぁ~、ステキ。ずっと眺めていたくなりますが、まだまだスタートしたばかり。先へと歩みを進みます。さらに5分ほど歩くと現れるのが「観音寺小橋台」。こちらはフェンスがあって近づくことはできませんでしたが、左右の石積みはかろうじて確認できました。そして、またしても電車に遭遇!! こんなに見えるのはラッキーなのかしら。大仏鉄道はこの辺りまで今のJRと並走する形で走っていたそうです。
竹林を抜けた先に現れる要塞
立て続けに遺構が現れたので、この先も次々と現れるのかと思ったら、次はなかなか現れず。道は竹林へと入っていきます。こんな所にこんなに美しい竹林の道があったとは知らなかったなあ。
竹林を抜けたら標識が現れました。次の「鹿背山橋台(かせやまきょうだい)」まではあと70mだそうですよ。ちなみに「観音寺小橋台」からここまでの所要時間は約15分。
「鹿背山橋台(かせやまきょうだい)」に到着! 先程の橋台も素敵でしたが、こちらも素晴らしい!! 切り石積みの堅固な雰囲気がまるで中世の要塞のようです。100年前の構造物ですが、今も現役で使えそうなほど、しっかりとした造りで残っています。下を水路が流れているので石が湿気でしっとりと輝き、廃墟感たっぷりでカッコイイなあ。一番の人気スポットというのも納得です。
近くに立っている看板には「橋台部分は西洋の技術が取り入れられているのに対し、翼壁部分は日本の石垣技術が生かされています」と書いてありました。確かに橋台部分は古い銀行などの外壁のよう。一方、翼壁部分は日本のお城のようですね。
大仏鉄道をよりリアルに感じる
さあ、次の「梶ケ谷隧道(かじがたにずいどう)」を目指します。Google MAPでは青線の道が表示されますが、赤線の道を通ることができまして、その方が早い気がします。
こんな田んぼ道を歩いていくと……
「梶ケ谷隧道(かじがたにずいどう)」に到着。正面はイギリス積み(長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む)でアーチ部分のレンガは長手積み(レンガの長手のみを一段ごとにずらして積む)。両方の下は石積みという、様々な技法を組み合わせた隧道です。
すぐ隣には花崗岩とイギリス積みのレンガを組み合わせて造られた「赤橋」がありました。花崗岩の隅石は近世の城郭の石垣にも見られる算木積み(石垣の角等で用いる。細長い石材を長短交互に積む)にして強度を高めています。しかし、この橋、背が高くてカッコいいな~。
上は道路になっているので後で上がってみました(右)。矢印の辺りが赤橋の上。今は道路になっていますが、かつてここを列車が走っていたんだ……というのを一番リアルに感じられたポイントです。
すぐそばには城山台公園(大仏鐵道公園)があり公衆トイレもありました。そして閑静な住宅地が広がっていて、カフェなども点在しているようでしたので、この辺りで休憩するのもよさそう。
さて、ここからは下り坂。今まで山の中を歩いていたのに急にまちに出てきました。府道44号に出る手前にあったのが写真の「うめだにカフェ」。看板を見ると元梅谷区公民館の建物みたいです。なんだか面白そうと思ったのですが、取材当日はお休みなようで残念……。赤橋からここまで徒歩約15分。
梅谷交差点の辺りが、「井関川橋梁跡(いせきがわきょうりょうあと)」です。ここに井関川を渡る橋があったと考えられていますが、今はどこにあるのか分からないんですって。
そろそろ、お腹がすいてきました! この辺りはスーパーやカフェが何軒かありますが、訪れたのは自家焙煎コーヒーの店「UMEMIDAI COFFEE & Roaster」。頼んだのはアイスコー匕ーとホットサンドイッチ。とろけたチーズがこれまた美味で、おすすめです。
ここから府道44号を歩いていきます。あれ、歩道の模様がレールのよう! どうやら、ここを大仏鉄道が走っていたようです。
6分ほどで京都府側の最後のスポット「松谷川隧道(まつたにがわずいどう)」に到着。道路から階段をおりて、このような道を進んでいきます。
中を覗いてみるとレールのような突起がありますが、ここに橋を架けて上は農道、下は農業用水路として使われていたんですって。
ゴールの大仏駅まであとわずか!
さて、取材当日は4月末、なのに30度近い暑さで、ここまで来たのですがかなりバテてしまいました……トホホ。そこで梅美台西バス停からバスに乗って奈良駅までショートカットすることに。
特に井関川橋梁跡辺りからは、ゆるやかとはいえずっと上り坂。大仏鉄道は坂が大変だったため、木津駅を経由し奈良駅へ至る平坦なルートが開通すると旧線になってしまった、という話も納得です。中でも一番の難所は奈良県に入ってすぐの黒髪山。今は壊されて道路になっていますが、当時は「黒髪山トンネル」があり、汽車がこの坂を登れない時は乗客が降りて押したり、村の人たちが押しに行ったんですって。
バスで一気に奈良駅までやってまいりました。旧奈良駅の駅舎は奈良市総合観光案内所になっていて、中にはカフェやトイレもあるので、ちょっと休憩。元気を取り戻したところで大仏鉄道ができた当初の終着駅「大仏駅」をめざして再び出発~!
大仏駅があるのは旧奈良駅から北へ1.1㎞行ったところ。船橋商店街を抜け佐保川を渡った先にあります。残念ながら見つけられませんでしたが、下長慶橋の西側には大仏鉄道のレンガ製橋脚の基礎部分が残っているのだそうです。
ついにゴールの「大仏鉄道記念公園」に到着! 感無量です。モニュメントに書かれている文章を読むと、実際の駅はここから少し北へ行ったところにあったようです。
さて、朝10時に加茂駅を出発し、途中でお昼休憩してバスに乗りましたが、ゴールに到着したのは15時30分。約13㎞、所要時間約5時間30分でした。じっくり写真を撮ったり見学をしたりしなかったら、そんなに時間はかからないかもしれません。実際に歩いてみて、明治時代の素晴らしい産業遺構を目の当たりにし、かなり感動しました! みなさまもぜひ、一度歩いてみてはいかがでしょう。KYOTO SIDE編集部としても、おすすめのハイキングスポットです!
参考文献:木津川市観光協会「木津川市観光ガイド」HP 『加茂町史』『大仏鉄道物語』
■■INFORMATION■■
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休 水曜日(祝日、休日の場合は翌平日)、年末年始
UMEMIDAI COFFEE & Roaster
京都府木津川市梅美台2-19-26
0774-94-6261
営業時間 9~18時
休 木曜日