【海外出産奮闘記#13】母になることで手放す「100点じゃなくてもイイ」編
大学卒業後、まともに就職活動もせず、ふと見つけた広告に応募し採用され、現代美術ギャラリーで楽しく働く私に向かって、ある日母はこう言放ちました。
「あんたはきっと“いきおくれ”て、30過ぎで猫と一緒に1人暮らしするんでしょうね」と……。
しかし、人生には時に天変地異の如き出来事が降り掛かります。25歳で出会った彼と、次の日からおつきあいをスタート。半年後に妊娠、入籍する事に!
ドタバタの海外出産後、酷寒の地ボストンでの生活から、夫の就職を機に新天地カリフォルニアに住居を移した私たち一家、そして後陣痛と恥骨痛に苛まれた2人目出産。前回は、第2子を無事出産した安堵も束の間、母乳育児の苦労再到来をお送りしました。
今回は「母になることで手放す“100点じゃなくてもイイ”」編をお送りします。
母になることで手放す「私自身を構成していた何か」
子育ての大変さは子どもの人数に比例する。これは事実でもあり、そうではないとも言えるでしょう。
子どもが生まれる前は深く考えずとも私は“私自身”でありました。しかし結婚して妻になり、子どもが産まれて母になる事で、かつての“私自身”を構成していた何かを、少なからず手放すことを要求されるように思います。子どもが増えれば、その分また捨てる必要があるのかもしれません。
古いものを捨てた分、私たち親は、それまで見た事の無い種類の発見や、胸を熱くするほどの、あるいは心穏やかな幸せを子育てを通して感じることがあるのだと思います。そしてこの経験により、新しい自分を獲得し、人生を充実させていくことができるのではないだろうか、と筆者は考えています。
しかし、自らの経験で話せば、手にしたものを捨てられず、放すものかと頑なであればあるほど、子育ては大変になるように思います。
繊細な長女と新生児との新生活
中学時代陸上部だった筆者は身体も丈夫で、産前も産後も健康そのものでした。ですから特に無理さえしなければ、穏やかで平和な毎日が続いていたはずでした。
しかし、自我が出てきた長女は、私のような頑固者の1人目の赤ちゃんとしては、なかなかに手強い相手だったのです。
長女はとても繊細な子です。機嫌のいいときはニコニコと天使のようでしたが、一度何かのスイッチが入ると、火がついたように号泣し、止まらなくなります。
彼女が穏やかに日々を過ごす事の鍵が、“日々のルーティンを守る事”にあることに気付いた私は、それから頑ななまでに“それを守る事”になります。起床時間、昼寝の時間、食事の時間、就寝時間、全てが長女の都合で予定を決めなければいけません。
時にはそれを守れないときも、当然あります。そんなときは「だから言ったでしょ」とでもいうように、激しい夜泣きという名の逆襲が繰り広げられます。
深夜に彼女がお気に入りだった『Blue’s Clues』という子ども番組のDVDを流しながら、リビングのソファで母子2人、朝を迎える事もしばしばでした。
消えた朝一番の尿意
気付くと私は、これまでの人生で、何度も迎えた朝に必ず感じてきた尿意を、いつのまにか感じなくなっていました。そして、それからの私は膀胱炎を繰り返す事になります。
自分自身を後回しにしていたからだったように思います。
私は朝起きるとすぐに、娘達の様子を見に行きました。授乳が必要であれば授乳し、オムツを二人分替えました。長女に離乳食を用意し、彼女らの様々な要求に応える事を最優先にしたため、自分自身を後回しにし、朝に感じていた尿意が消えていました。
額に謎のブツブツが出現!
ある日鏡を覗くと、額に謎のブツブツが出来ていました。赤くもなく、痛みもかゆみもありません。
この不可解なブツブツをみて、“水分不足では?”夫にそう指摘され、それから気をつけて水分を摂るようにしていたら、いつのまにかブツブツはひいていきました。
私は自分の水分補給さえも後回しにしていたようです。
自分自身に許されたかった私
このとき、だんだんに弱っていった中でも得られたこととは、次のような気づきでした。
「母としての自信が無い自分から目をそらし、“がんばる自分”を演出する」
要するに私は全く自信が持てなかったのです。小さなわが子がちょっとしたことですぐに大騒ぎする事、育児と家事を完璧にこなせていないこと、子どもの要求にきちんと応えられていない事、夫に対する妻としての不完全な自分などなど、自分に対して不満だらけでした。
そんな自分が許せず、罪の意識が私を責め、むち打つ日々でした。そんな時に周りから「がんばりすぎだよ、無理しないで」という言葉をかけられるとホッとしていたように思います。そう、私は十分がんばっている。
それでも私は自分を許せませんでした。私は他人ではなく、他ならぬ自分自身に認めてもらいたかったのです。私は私自身に許されたかったのです。
「100点じゃなくてもイイ。」救ってくれたのは、私を許し続けた人たち
ある日、私はカリフォルニア州の運転免許を取得するべく、筆記試験の勉強をしていました。当時私の中には「出される問題が分かっているテストは、当然100点を取るべきである」という謎に厳しいルールがありました。
ですが、子育てと家事の合間で思うように時間が取れません。夕食後、明日に控えた試験のために、イライラしながら勉強する私に向かって夫がこう言いました。
「こういうのはね、100点を目指すべきじゃないんだよ。“いかに少ない時間で、少ない労力で、ギリギリの点数で合格するか”を目指すべきだ」
大きな鱗が“ぼろっ”という音を立てて私の目から落ちたようでした。しばらく口をきけなかったのを憶えています。
そうなの? 100点は目指さなくていいの?
なぜ私は100点を頑なに目指していたのだろう……? ふと顔をあげると、爽やかで明るい風景が広がるように、心が軽くなるのを感じました。
試験当日、なんと私は、あと1問正解だったら合格、というスコアを取ってしまいます。ガーンと青い顔をする私に、肉に埋もれた首があごと一体化したようなカウンターの試験官らしきアメリカ人が、「すぐにここを直して、もう一度ここに来て」と指示しました。
ハテナマークに包まれながら言われた通りにしたところ、その試験管らしき人は「PASS(合格)」のスタンプを私の解答用紙に押しました。私は目を疑いました。なんと、おそらく内緒でおまけしてくれたのです。
間違えば、こうして許されることも時にはあるのです。
まだまだ色んなものを抱え込んでいた私ですが、子ども達、夫、いろんなひとから許されながら、少しずつ余分なものを手放していくことを知りました。
完璧や100点を目指しているママに、筆者の体験がヒントになればと思います。
次回は「アメリカお出かけ事情」編をお送りします!
★今回の教訓★
(1)育児は「ルーティン」が大事
(2)ママは完璧や100点を目指さなくて大丈夫!
(2016年08月23日の記事を再掲載しています)
【画像】
※ Maria Sbytova , itsmejust / Shutterstock